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第23回 桜桃忌|太宰治が息づく町に行ってみた。【連載コラム】


 

こんにちは、アオノです。

この連載コラム「文学の種」で文学の記事を書いているのですが、最近すっかり太宰づいておりました。

なぜかといえば、6月19日は「桜桃忌」(おうとうき)と呼ばれる日。太宰治の誕生日です!

 

今回わたしはこの桜桃忌の直前に、太宰治が入水心中したゆかりの地、三鷹をたずねました!

三鷹駅南口

 

三鷹は、各地に太宰が生きた痕跡が残る町で、今でもその息づかいが聞こえてくるようです。

 

太宰は、1939年(昭和14年)9月から、亡くなる1948年(昭和23年)6月の約9年間を東京の三鷹で過ごしました。

 

6月19日は「桜桃忌」

毎年6月19日に、太宰治のお墓がある東京都三鷹市の禅林寺で「桜桃忌」と名付けられた法要が行われています。

太宰が玉川上水に入水したのが6月13日で、遺体が引き揚げられたのが、奇しくも太宰の誕生日【6月19日】なんです。

今でも桜桃忌には多くのファンが駆けつけ、太宰を追悼しています。

ちなみに「桜桃忌」というネーミングは、太宰の作品『桜桃』からつけられました。

 

三鷹には太宰の生きた痕跡が沢山残っているんですよ。今回は、その一部をご紹介します。

 

太宰治が眠る禅林寺

禅林寺

さて、まず行ってきたのが、太宰治のお墓がある禅林寺。

禅林寺には、太宰のお墓のほか、森鷗外のお墓があります。

太宰は『花吹雪』という作品の中で「森鷗外の墓が綺麗なところにある。わたしもこんな綺麗な墓地の片隅に埋めてもらえたら死後の救いがあるかもしれない」というようなことを書いています。

太宰の死後、奥さんである津島美知子さんが、太宰の気持ちを汲んで鷗外と同じ禅林寺に太宰の墓を建てたのだとか。

太宰のお墓と森鷗外のお墓は、斜め向かいに建っているんですよ。

 

太宰治の墓

桜桃忌が近かったこの日、お墓に行くと、熱心に太宰のお墓に手を合わせている20代の女性と出会いました。他にも、ご夫婦でお参りに来た、という方とも出会い、没後70年経った今でも、太宰が愛されていることを実感しました。

 

太宰治が入水心中した「玉川上水」

玉川上水は、太宰が愛人だった山崎富榮さんと入水心中をした場所。

玉川上水は、太宰の作品『乞食学生』にも登場しており、太宰の生活に根付いていたことがわかります。
『乞食学生』の一節が書かれたレリーフも飾られていました。

玉川上水のレリーフ

 

玉川上水沿いの道には、石碑代わりに「玉鹿石」(ぎょっかせき)が置かれています。

 

玉鹿石

 

「玉鹿石」は、太宰の故郷である青森県五所川原市金木町から持ってきた石です。
この「玉鹿石」のあたりから、ふたりは身を投じたといわれています。

 

玉鹿石から見た玉川上水

「玉鹿石」から玉川上水を見ると、こんな景色を見ることができます。

今は歩道ができ「風の散歩道」という名前がついているこの場所ですが、太宰が入水した当時は土手がありました。また、現在玉川上水の水量は少ないのですが、昔はかなりの水量があったそうです。

当時と今では景色は変わっていますが、この場所からふたりは玉川上水を眺めたかもしれない、と思わずにいられない場所でした。

 

当時、愛人の山崎富榮さんが下宿していた野川家と「玉鹿石」は目と鼻の先。太宰は、野川家の一室も仕事部屋のひとつにして、執筆活動をしていたそうです。

太宰は、野川家の仕事部屋に、未完の『グッド・バイ』を残し、山崎富榮さんとふたりで玉川上水に向かいました。

 

実際に現地に行ってみると、野川家から玉川上水がどれだけ近かったかがわかり、この短い距離をふたりはどんな想いで歩いたのだろう、と想いを馳せずにはいられませんでした。

 

直筆原稿が見られる「太宰治文学サロン」

太宰治文学サロン入り口

太宰が通っていた酒店「伊勢元」の跡地に建てられた「太宰治文学サロン」では、太宰の直筆原稿や、初版本などを見ることができます。

パソコンがなかった時代、原稿用紙に、愛用の万年筆で書いた直筆原稿は、とても貴重です。本で読んだあのお話の一部を、太宰の筆跡で読むことができるのは、面白い体験でした。

また「太宰治文学サロン」では、太宰のゆかりの地マップや、太宰クッキー、太宰の写真が入ったクリアしおり、ポストカードなどおみやげもたくさん買うことができます。

ちなみにわたしは、クッキーとしおりを自分のお土産に購入しました!

 

学生の社会科見学、大学で研究しているというグループから、ご年配の方まで、さまざまな太宰ファンと出会えた場所でした。

 

太宰治のお気に入り「三鷹電車庫跨線橋」

三鷹電車庫跨線橋の看板

太宰が気に入っていたという陸橋。

中央線の上に掛かる陸橋で、太宰が陸橋で撮った写真も残っています。

相当気に入っていたのか、友人にこの陸橋を案内することもあったそうですよ。

 

三鷹電車庫跨線橋

 

陸橋は当時の姿ままで残っています。登ってみると、その歴史を感じる景色が広がっていました。

この日は生憎の曇りでしたが「夕日が沈むころに登ると、とても綺麗なんです」と地元の方に教えていただきました。

陸橋では、親子連れで電車を眺めている人も多く、今も三鷹に住む人々の生活の一部であることがわかります。この陸橋に太宰が立っていたのは、そんなに昔の話ではないのだなと感じられる場所でした。

 

その他にも、三鷹に点在した太宰の仕事場の跡地や、太宰が通ったという飲食店が並んでいたことから名づけられた「太宰横丁」など、太宰の生きた痕跡をたくさん感じることができる街でした!

 

太宰治が息づく街を歩いてみる

太宰が生きた土地に行ってみると、この土地で確かに生きていた、というその痕跡が残っていて、作品もより深く楽しむことができますよ。

みなさんも一度、好きな作家のゆかりの地に足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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