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日本で最初に発行された雑誌『西洋雑誌』とは?


雑誌のタワーが本棚の横にできたことのあるカタクラです。

 

今、本屋に入れば数えきれないほど多くの雑誌が発行、発売されています。

そんな雑誌が、日本で最初にいつ生まれたのか? 調べてみました!

 

今から150年前に生まれた日本最初の雑誌

日本で最初に発行された雑誌は『西洋雑誌(せいようざっし)』といわれています。
1867年(慶応3年)の10月に柳川春三(やながわしゅんさん)によって創刊されました。

 

つまり、今から150年前に日本で雑誌が誕生したんですね!
って、1867年と言われても、ピンとこない方もいませんか?(わたしはこなかった!)

 

1867年は幕末と言われる時代。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上した、いわゆる”大政奉還”があった年でもあります。
雑誌が創刊されたすぐ後の11月には、坂本龍馬が暗殺される近江屋事件が起こりました。

そんな激動の時代に発行された雑誌とは、どんな内容だったのでしょうか。気になります!

 

中身は外国雑誌の模倣だった!?

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外国雑誌を模倣したもので、巻末の編集後記には「広く天下の奇説を集めて耳目を新たにせんがため為れば、諸科学は勿論百の技芸に至るまで、世の益となるべき事の訳説宣く加入すべきものあらば吝惜無く寄贈し玉へ」とある。(新版 本の情報辞典134ページ)

海外の「magazine」を目指し、外国の歴史や自然科学、物理、哲学などに関する新しい知識の翻訳・紹介がほとんどだったとされています。

知識が少ない、無知な人のために、正しい知識や新しい知識を広めようと作られたのだとか。

 

今の教科書みたいな内容だったのでしょうか。読んでみたいけれど、歴史や化学というと難しい言葉も多そうですね……。

 

執筆に関わった人は学者だらけ!

柳川春三とはどんな人物だったのでしょうか。また、柳川春三以外にも『西洋雑誌』の執筆に関わった人たちがいます。

彼らのエピソードも調べてみました! 一人ずつかいつまんでご紹介。

 

■柳川春三(やながわしゅんさん)

洋学者。

雑誌だけでなく、日本初の号外新聞を発行した人物でもあります。
最期は重病でありながら平然と過ごし、ウナギを食べた後に亡くなったというエピソードも。

 

■神田孝平(かんだたかひら)

洋学者であり、政治家。

学聞は文学・政治・数学など多岐にわたり、日本で初めて西洋数学を講じた人物。
考古学を愛しており、出土品を多く収集していたそうです。

 

■田中芳男(たなかよしお)

博物学者・物産学者・農学者・園芸学者。

……肩書きが多いですね。
博物館・博覧会・図書館・動物園の創設に関わった人物。この人がいなければ、現代のほとんどの学術施設が生まれていなかったかもしれません。

 

■宇都宮三郎(うつのみやさぶろう)

洋学者、軍学者・化学工学者・技術者。

田中氏に負けじと肩書き多し。
セメント、炭酸ソーダなどなど、化学工業会の先駆者。酒類醸造研究所も創設した人物でもあります。

 

なんと全員学者で、賢い人ばかりです!
内容が内容なだけに、専門的な知識を持った人でなければ作れなかったのかもしれません。

 

巻六で廃刊となった『西洋雑誌』

『西洋雑誌』は月刊誌として5冊発行。その後一時発行が止まるも1869年(明治2年)の9月に6巻を発行。その後、柳川春三が死去したことで廃刊となりました。

1869年は、「蝦夷地」が「北海道」と改称された年でもあります。イギリスでは雑誌『ネイチャー』が創刊されました。

 

そしてその後、1874年に福沢諭吉が慶応義塾出版から『民間雑誌』を。
さらに、学者の集う明六社が『明六雑誌』を創刊し大きな影響を与え、雑誌というものが広く普及されるようになりました。

 

今も昔も、新しい情報を得るための1つのツール!

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雑誌は、もとは学者たちが海外から得た知識を世間に広めようと作られたものだったんですね!

150年前からあったことに驚きました。

いつも何気なく読んでいる雑誌や本も、調べてみると歴史があって面白いですよ。

 

『西洋雑誌』についての参考文献
新版 本の情報辞典』紀田順一郎(監修)

 

知って得する!? 本の豆知識あります。