【太宰治とんでもエピソード】「熱海事件」とは?『走れメロス』のきっかけの実話
更新日:2018/6/27
みなさんは太宰治の『走れメロス』を読んだことがありますか? 教科書に載っているので、一度は読んだことがあるかもしれませんね。
実は『走れメロス』には、書かれるきっかけになったのではないかと考えられている、太宰治のとんでもエピソードがあるんです。
今回は、そのエピソードをマンガでご紹介します!
『走れメロス』のきっかけ?「熱海事件」とは
1936年(昭和11年)11月、太宰は熱海にこもって執筆をしていた。
ある日、太宰の友人・檀一雄は、太宰の内縁の妻・初代に「太宰がお金がないと言ってきたから、お金を届けてほしいの。そして早く連れて帰ってきて」と依頼された。檀はその金を持って太宰を訪ねるが、檀が到着するなり太宰は壇を飲みに誘い……
この、太宰が金を借りに行ったきり戻ってこず、井伏鱒二と東京で将棋を指していた事件を、通称「熱海事件」といいます。
怒った檀に「待つ身が辛いか、待たせる方が辛いか」と太宰は言いますが、2人分の借金を抱えたまま熱海で待っていた檀は、肩身の狭い思いをしていました。
太宰を待つ日々は、いつもより長く感じたことでしょう。
しかしこの「熱海事件」、これで終わりではないんです。
「熱海事件」のその後。「熱海の思い出は、苦い」
「熱海の思い出は、苦い」と、檀はあとから振り返っています。
檀一雄は翌日、太宰と将棋を指していた井伏鱒二と共に、太宰の師であった佐藤春夫を訪ねます。
太宰と檀が、熱海で女遊びをしていたことは、領収書を見れば明白でした。
井伏さんは時折、例の、女の勘定書きを膝の上にパラパラとめくりながら、先生と、私の顔を交互に見られた。
もう、生涯あのような恥ずかしい目に会わずに済めば幸わせである。私は「丹下氏邸」を読み返すたびに、あの日の井伏さんの、膝の上に積まれていた、女の、夥しい勘定書を思い起こすならわしだ。
(岩波現代文庫『小説 太宰治』檀一雄(著)、P125~P126)
「丹下氏邸」とは、井伏鱒二の小説のこと。
飲食代ならまだしも、遊女のところへ行った領収書を目の前でめくられてしまっては、恥ずかしくてたまりませんよね。
結局、太宰と檀の宿代を佐藤春夫が出し、残りは井伏鱒二が、自分のものや、太宰の内縁の妻・初代の衣類などを質に入れ、代金をまかなってくれたのだそうです。
『走れメロス』には大切だった熱海の旅行
『走れメロス』が出版され、檀一雄はこのように語っています。
私は後日、「走れメロス」という太宰の傑れた作品を読んで、おそらく私達の熱海旅行が、少なくともその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた。あれを読むたびに、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うわけである。
(岩波現代文庫『小説 太宰治』檀一雄(著)、P127)
熱海事件は、まさに『走れメロス』と似ているところがあります。ただ、太宰はメロスみたいに走らなかったし、檀の元には戻りませんでしたが、良い友人を持ったことに変わりはありません。
檀を置いて東京に戻った太宰が、なんで戻ってこなかったのかといえば「恥ずかしくて、お金を貸してくれとはなかなか言い出せなかった」とも言われています。
太宰は戻ってきませんでしたが『走れメロス』を書いたとき、一緒に熱海で遊んで、熱海に残してきてしまった檀一雄のことを、太宰も思い出していたかもしれませんね。
もう一度『走れメロス』を読んでみよう
『走れメロス』が書かれる前には、こんなできごとが太宰の身にも起こっていました。
それを知った上で、もう一度『走れメロス』を読んだら、また違った面白さがあるかもしれません。ぜひ読んでみてくださいね!
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