こんな裏話があった!芥川賞のびっくりエピソード【雑学・トリビア】
毎年2回、純文学の新人に贈られる「芥川賞」。大衆文学の中堅作家に贈られる直木賞と並んで、日本でもっとも有名な文学賞のひとつです。
昭和10年から150回以上にわたり続いてきたこの賞の歴史の中には、悲喜こもごものエピソードが盛り沢山!
今回はそんな芥川賞の裏話をいくつかご紹介します。
第1回からハプニングだらけの芥川賞
芥川賞の創設者は芥川龍之介の親友・菊池寛
芥川賞は、昭和10年に芥川龍之介の業績を記念し、純文学の新進作家に送られる新人賞として創設されました。創設したのは、文藝春秋社を立ち上げ、雑誌「文藝春秋」を創刊した菊池寛。彼は、芥川龍之介と第一高等学校時代からの親友でした。
太宰治は第1回の候補になったものの、落選
第1回の芥川賞には、太宰治の「逆行」も候補に挙がっていました。太宰治は芥川龍之介に傾倒しており、芥川賞には並々ならぬ執着を持っていたようです。しかし、太宰の受賞は成らず、第1回芥川賞は石川達三の「蒼氓」に決定。
川端康成は、選評において、太宰に対して
“『作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった。』”
「芥川賞の謎を解く(p.24)」の引用による
と書きました。これを読んだ太宰は激怒。「文藝通信」に反論文を掲載します。
“『事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。』”
「芥川賞の謎を解く(p.25)」の引用による
一度も選考しなかった谷崎潤一郎
谷崎潤一郎は、第1回から第16回まで、選考委員として名前が残っています。しかし、谷崎潤一郎と菊池寛との間にトラブルがあり、実際には選考に加わりませんでした。一度も選考会に出席せず、選評も残していません。
戦時下の芥川賞
異例の「陣中授賞式」
日中戦争下にあった昭和12年、第6回の芥川賞が火野葦平さんの「糞尿譚」に決定しました。しかし、このとき火野葦平さんは中国へ出征中。そこで、小林秀雄が賞を携えて杭州へと向かい、軍司令官や各部隊長の居並ぶ中、陣中での授賞式が行われました。
古書価の高い幻の本「雑巾先生」
芥川賞受賞作品の中で、古書としての価値がもっとも高い作品が、昭和19年第19回芥川賞「登攀」が収録された小尾十三さんの「雑巾先生」です。満州文藝春秋社から発行されましたが、その直後にソ連の侵攻が始まったため、日本国内にはほとんど流通しなかったという幻の稀覯本で、古書価は200万〜300万ほどもするそうです。
受賞なの、受賞じゃないの?
初めての辞退者
昭和15年に行われた第11回の芥川賞は、大伴家持の生涯を描いた高木卓さんの作品「歌と門の盾」でしたが、選考委員の評価は芳しくありませんでした。本人にとっても、この作品での受賞は本意ではなかったようで、受賞の連絡を受けた2日後、辞退する旨を伝えます。芥川賞史上初のできごとでした。
この辞退に菊池寛は激怒しますが、選考委員の佐藤春夫、宇野浩二らは己の分を知る行為であると評価しています。
司会者の粘り勝ちで受賞!?
第33回の芥川賞を受賞したのは、遠藤周作さんの「白い人」ですが、実は選考中は「該当作なし」に決まりかけていました。しかし、どうしても受賞者を出したい選考会の司会者が、名人芸とも呼べる粘り強さを見せ、ついに「白い人」に決定したといいます。
「誤報」のハプニング
第46回の芥川賞では、「誤報」のハプニングが起きました。
この回、選考委員の間では、宇能鴻一郎さんの「鯨神」か吉村昭さんの「透明標本」のどちらを受賞作にするか、議論が対立。「W受賞」も検討されはじめます。このとき、事務局が先走って吉村昭さんに「W受賞に決まりましたので、会場へお越しください」と伝えてしまったのです。
しかしその後、受賞は宇能鴻一郎さんの「鯨神」に決定。会場に駆けつけた吉村さんは、その場で落選を知らされるという憂き目にあいました。
落選作家も豪華な顔ぶれ
村上春樹は2度候補になるものの落選
世界的な人気を誇る作家・村上春樹さんですが、意外なことに芥川賞は受賞していません。第81回の芥川賞で、デビュー作である「風の歌を聴け」が候補になりますが、落選。第83回には「1973年のピンボール」が再び候補になりますが、こちらも落選し、その後は候補になることはありませんでした。
芥川賞には落選したが、選考委員になった作家
芥川賞に落選したものの、その後選考委員に選ばれた作家もいます。たとえば、第146回まで選考委員をつとめた黒井千次さん。黒井さんは5回候補になり、5回落選しています。現在の選考委員である山田詠美さんも3回候補になり、落選(その後直木賞を受賞)。島田雅彦さんに至っては6回の落選を経験し、「島田雅彦芥川賞落選作全集」まで出版しています。
社会現象を起こす芥川賞
芥川賞に対する社会の目を変えた「太陽の季節」
芥川賞に対する社会の注目度を高めたきっかけともいえる作品が、第34回芥川賞を受賞した石原慎太郎さんの「太陽の季節」です。当時はまだホテルでの記者会見などもなく、当初報道の扱いは地味でした。
しかし、主人公が性器で障子を破るという衝撃的なシーンが賛否両論を巻き起こし、注目を浴びます。「太陽族」と呼ばれる若者も出現するなど、社会現象となりました。
綿矢りさ、金原ひとみのW受賞 掲載雑誌は100万部越え
第130回芥川賞を受賞した綿矢りささんと金原ひとみさん。受賞当時は綿矢りささんが19歳、金原ひとみさんが20歳で、最年少受賞者となりました。若い女性二人のW受賞は話題となり、受賞作が掲載された「文藝春秋」は118万5,000部が売れ、雑誌としては異例のヒットとなりました。
まとめ
芥川賞は歴史が長く、人々の注目を集める賞だけに、受賞や落選をめぐるエピソードには事欠きませんね。つねに時代の先を行き、新進作家を世に送り出してくれる芥川賞。これからも目が離せません。
参考文献
■『芥川賞の謎を解く』鵜飼 哲夫/著、文藝春秋
■『芥川賞・直木賞150回全記録』文藝春秋
■『芥川賞物語』川口 則弘/著、バジリコ