これって私のこと!? テリー伊藤のエッセイ『バカの正体』
更新日:2016/6/6
『バカの正体』
テリー伊藤 (著)、角川書店
ふと身近なところを見渡しても、バカばっかし。などと偉そうに言っている私もまた大バカ野郎である。
そう。昔もいまも、右も左も、東も西も、北も南もバカばっかり。それが人間社会というものなのだ。
じゃあ、バカは人間の宿命なのだから、あきらめるしかないのだろうか。どこかにバカにつける薬はないものだろうか。
なんとかしてバカにつける薬を見つけ出し、この世を明るくしようじゃないか。バカによく効く薬を自分や家族や恋人に処方して、もっと幸せになろうじゃないか。それが本書の目的である。
(プロローグ p3-4)
タイトルから想像がつくものの、このような冒頭からはじまるテリー伊藤氏の『バカの正体』。連発される「バカ」の回数の多さに驚いてしまう人がいるかもしれません。
そんなテリー氏の毒舌から始まる本書は、日本のあらゆる「バカ」をバサバサと斬っていく愉快なエッセイ本です。
読んでいると、これって私のこと?! とドキッとさせられる瞬間も多々あり……。
ここでは、本書で書かれた「いまの世の中で、あちこちに見受けられるバカの症状」46項目のうち、3つをご紹介します。
1.なんでも感動したがるバカ
恋人が余命いくばくもないとか、子どもが重病を患ったとか、動物と人間の深い愛情物語とか……。
ありがちな「感動の物語」を売りにした映画やテレビドラマだとわかっていても、観ると感動してしまう人は多いことでしょう。
若いころのテリー氏は、そういう「感動ブーム」をバカにしており「日常生活で感動できることがあまりないから、映画やマンガや小説に安易な感動を求めているのではないか」「最近は安っぽいものでも、すぐに感動する日本人が増えた」と、よく彼女に言っていたそうです。
実際、あなたの周りにもそんな指摘をする人がいるのではないでしょうか。
そんなテリー氏ですが、ある日街の映画館で、男性が女性に「この程度でそんなに簡単に泣かされてどーするんだ。こんな映画にだまされんなよ」と言っているところに出くわしたそうです。すると、女性はこう言い返したのです。
「いいじゃないの。私の涙なんだから。私は泣いて感動して、元をとってるのよ」。
それを聞いてから、テリー伊藤氏の考えは180度変わったとのこと。
お笑いとか感動などというものは時代によって変わっていく。それを否定して「昔はこんなことでだれも笑わなかった」と言っても空しいだけだ。
安上がりでもなんでもいい。泣ける、笑える。感動できる。それでいいのだ。
むしろ、泣けない、笑えない、感動できないというほうがさみしい。
素直に感動している人にケチをつけているより、元を取ったほうがいいのである。(p54-55)
自分の考えにとらわれずに、柔軟に考えを変えることができるのは、テリー氏が人気コメンテーターであるゆえんかもしれませんね。
ただし、最近の傾向を見て残念なことが1つだけある。それは、その感動のボキャブラリーがあまりに少ないことだ。
「かわいそう」「かわいい」「すごい」「やばい」ぐらいしか語彙がない。
どんなものを見て感動しても、それはそれでいい。でも、その感動をもう少し言葉にできるようになれないものだろうか。(p55)
この言葉にも納得。そして、私も気をつけねばと心に誓うのでした。
2.「逆に」と言いたがるバカ
誰かと話していると、「逆に」「でも」「だって」をつい言ってしまうことってありますよね。
テリー氏はこれに対してもバッサリと斬っています。
会話のなかで、何かというと「逆に」と言いたがる人がいる。少し前までは、「でも」「だって」という人が目に付いた。それを枕詞にしないと会話ができないのだ。
どんなときでも自己肯定。何があっても自分好き。その象徴が「でも」であり、「だって」だった。
それがいまでは男にも伝染し、すぐに「逆にさあ」という言葉を使うヤツが増殖した。
あたりまえのことだが、ある論に対して、それとはまったく逆の論を展開するときに「逆に」というのは、なんの問題もない。
そうではなくて、新たな持論の転換とか話題の転換とか、あるいは単なる追加や補足の話をするときも「逆に」。なんでもかんでも頭にその言葉を入れる。
「それ、逆でも何でもないじゃん」そういいたくなるケースが異常に多い。(p76)
待ち構えたように「逆にさあ」という人たちの心理とは何なのか。
それは、「自分はみんなとちがうんだぞ」「俺の話は鋭くてオリジナリティーがあるんだぞ」「俺にはちゃんと批判精神やウイットがあるんだぜ」「逆の角度から攻める俺はカッコいいだろう」というようなものだろう。
しかし、いまや「逆に」はカッコ悪い。ダサい。(p77)
「逆に」「でも」「だって」そこからは何も生まれないとテリー氏は警鐘を鳴らしています。
一億総評論家と言われている日本。SNSの台頭で、常に誰かが誰かを批判しています。
新聞を見れば政治や社会を批判し、テレビを見れば芸能人やスポーツを批判する。批判は特別なことではなくなりました。
そんな今だからこそ、容易く批判する人でなく、人の良さや才能を見出す人はカッコいいのですね。
これに関してもやっぱり、私も気をつけねばと思うのでした。
3.「私をわかってほしい」と求めてくるバカ
「あなたはどうして私のことをわかってくれないの?」男女問わず、そう責められた経験のある人は少なくないはず。この内容に関しても、またもやテリー氏がバッサリと斬ります。
「自分のことをもっとよくわかってほしい」そう思っている人は、いったい何人の人が、あなたをわかってくれれば満足するのだろう。(p145)
「私をわかって」の先にあるものが、「甘え」ではなくて「メリット」ならばお互いに成り立つのだ。
「私をわかってほしい」と言われたほうは、「わかったら、こっちにはどういうメリットがあるの?」と思っている。だからそのメリットを説明すれば、その関係は成立もするし、わかってももらえる。(p146)
なかなか辛辣な言葉ですね…。
テリー氏が、知り合いである新婚ほやほやの男性にこの話をすると「そんなことを言ったら、その場で別れることになるでしょうね」と言われたそうです。
なにも言えなくなって、「そうか。じゃあ、彼女の甘えを一生、許容する広い心を持ちつづけられるようにがんばってくれよ」と返事をしたというエピソードも載っていました。
3度目となりますが、これに関しても、私も気をつけねばと思うのでした。
バカは死ななきゃ治らない?! いえいえ、その気になれば治せます
「あいつはバカだ」と批判はするものの、そのバカを治そうとしないバカ。そうこうしているうちに日本は国力がどんどん落ちていく……。
それが本書を書くキッカケになったとテリー氏は語っています。
「バカは死ななきゃ治らない」?! いえいえ、バカはその気になれば治せます。
恥ずかしいことに、今回挙げた3つの「バカ」は私にも当てはまっていました。
客観的に見ると、私はこう見えているのだなという気づきにもなり、自分を見つめなおすには最適の1冊ですよ。興味を持っていただいた方は、ぜひ読んでみてくださいね。
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今回ご紹介した書籍
『バカの正体』
テリー伊藤 (著)、角川書店