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休日は「明治」を散歩しよう!東京の地図に隠された歴史の秘密


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ゴールデンウィークが過ぎ、気候が暖かくなってくると、ちょっとしたお散歩に出てみたくなります。
私は東京に住んでいますが、休みの日にちょっとした街歩きなどを楽しんでいると、時々興味を惹かれるものを見つけたりします。何かの記念碑だったり、年代ものの古いお店や住宅などの建物、やたらと曲がりくねった道…。「きっと何か歴史があるのだろうな」と思っても、その後調べる機会もなく、忘れ去ってしまうことも多いものです。

今回は、そんな街歩きをさらに面白くする1冊をご紹介します。『カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩』(竹内正浩著、中公新書)は、「街の中に隠れている歴史遺構」を、地図や資料を使って鮮やかに描き出してくれる本です。

 

地図によって解き明かされる歴史の謎

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この本の判型は新書なのですが、新書には珍しくオールカラーで刷られています。写真や地図がカラーで掲載されていますので、目で見て愉しむことができます。

9章で構成されている本書は、それぞれにあるテーマに沿って東京の歴史遺構を紹介しており、主に日本の近代化が始まった明治から大正にかけて、「江戸」が「東京」に変わっていく中での変遷を描き出しています。
同じ場所の地図でも、年代ごとに見ていくとその移り変わりがよくわかり、「一体ここに何があったのか?」「なぜ今こうなっているのか?」が地図によって解き明かされていく様子は、ちょっとした謎解きのようなワクワク感があります。

それでは、この本の中から、「公園」「荒川放水路」「幻の環状線」に関する3章をピックアップして少しだけご紹介してみます。

 

東京にできた最初の都市公園

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現在の東京には、多くの公園があります。本書によれば、東京の公園面積は74.4平方キロメートル。現在はこれだけある東京の公園ですが、実はその始まりは明治時代にさかのぼります。
江戸時代には、現在言うところの「公園」というものは存在しておらず、その始まりは明治6年(1873年)1月の太政官布達でした。「公園」という名前も、parkを翻訳して作った言葉だそうです。
この太政官布達によって、上野公園、芝公園、浅草公園、深川公園、飛鳥山公園という「明治の五公園」が誕生することになりました。太政官布達には、かつての遊興地を保護し、公園として整備する目的もあったといいます。

本の中で特にその変遷が細かく解説されているのは、上野公園です。
この場所は、江戸時代には寺院が立ち並ぶ場所であったとと同時に、庶民が花見などを楽しむ遊興地でもありました。しかし、上野戦争で寛永寺の大伽藍のほとんどが消失し、焼け野原となってしまいます。病院を建てる計画もあったようですが、オランダ人医師のボードワン氏が、この場所を公園とするように進言しました。

上野公園は、公園として整備されてからも、時局の移り変わりや震災を経て、その姿を大きく変えていきます。明治から現在までの地図を見れば、その変遷が一目瞭然です。
明治時代には、国家直轄の都市公園として博覧会の会場となったり、国家の祝祭空間としての性格を帯びていました。

しかし大正に入ってから、皇太子成婚を記念して上野公園が東京市に下賜され、「恩賜公園」となり、国家的祝祭が皇居外苑で行われるようになるにつれ、そのような役割は徐々になくなっていくのです。
現在でも上野公園にはボードワンの銅像が置かれています。

 

「人工河川」だった荒川下流部

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東京の東側には、たくさんの河川があります。そのなかでも「荒川」はひときわ川幅の広い川ですが、この荒川の下流部はじつは人の手によって作られた「人工河川」であるということをご存知でしょうか。
荒川の下流部は豪雨による氾濫を防ぐために作られた人工河川であり、かつて「荒川放水路」と呼ばれていたのです。

人工河川である証拠は、古い地図を見れば明らかだ。明治時代の地図に、隅田川と江戸川の間を流れる荒川は存在しない。この放水路ができるまで、荒川の下流は隅田川と名を変え、都心部を貫流してそのまま江戸前の河口に注いでいた。(p.75)

荒川放水路の建設は非常に壮大なものでした。約11平方キロメートルもの土地が買収され、1300戸もの家屋が立ち退きの対象となりました。流域の4つの村が事実上廃村となるなど、その事業規模の大きさがうかがえます。

それだけでなく、荒川放水路によって分断されることになる道路が付け替えられたり、鉄道のルートが変更されたりしています。かつて鉄道の線路があった場所には、現在ではひっそりと「東武鉄道旧線路跡」という石碑が残っているそうです。
何も知らなければ見逃してしまいそうな小さな石碑にも、歴史を紐解いていけば興味深い過去が隠れているのですね。

 

幻に終わった新環状線

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最後に、もうひとつだけ、幻に終わった「山手急行電鉄」の章をご紹介しましょう。
実はかつて、現在の山手線とは別に「東京山手急行電鉄」という鉄道会社がありました。震災を機に郊外への人口流出が進んでいくについれて、ターミナル駅から私鉄線がどんどん開通していきます。この「東京山手急行電鉄」は民間の鉄道会社で、それらのターミナル駅をつなぐ環状線を走らせようとしていたのです。
この本に掲載されているパンフレットを見ると、大井町を始発として、武蔵小山、中野、板橋、田端など、現在の山手線の外側をぐるっと回り、東陽町に至る路線を作ることが計画されていたことがわかります。

しかし、このエリアの人口が急増したために地価が上がり、買収は容易には進みませんでした。さらに「踏切なし」で立体交差を用いることになっていたため、さらに工費が増え、建設は困難になってしまいます。
幻に終わった「山手急行電鉄」ですが、実は現在の井の頭線との接続を予定していたために、井の頭線の明大前駅付近には、この「山手急行電鉄」の遺構がいくつか残っているようです。

 

都市の変遷から見える東京の歴史

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今回は3章分を紹介しましたが、ほかにも「石垣に残された水準点」「市営霊園」「水道道路」「軍都の遺構」「帝都復興道路」「配線分譲地」といったテーマで、様々な歴史遺構が紹介されています。

日本の近代化以降、東京という街がどう移り変わっていったのか、興味深い逸話が満載です。都市の変遷というのは、歴史の流れ、人の流れであるということが実感できます。
普段何気なく通っている小さな道や建物に、こんなにたくさんの歴史が隠されていると思うと、とてもワクワクしますね。この本を片手に、東京の歴史散歩をしてみると、今まで気づかなかった新しい発見が見つかるかもしれません。

■ご紹介書籍
カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩』 / 竹内正浩 中公新書

 

ライター

ラッテ
3度の飯より本が好き。興味のおもむくままに、いろいろな分野の本を読んでいます。特によく読むジャンルは、IT、美術、語学、旅行、インテリア、漫画など。本好きが高じて、書店員をしていたこともあります。