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海外小説(翻訳小説)を読むときに押さえておきたい3つのポイント


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みなさん、海外の小説はお好きでしょうか。私も自然のなりゆきで日本の小説家と同じように、英語やロシア語、フランス語など様々な言語によって書かれた作品に翻訳を通じて触れてきました。

“海外小説を読む”という行為は、読書家でなくともあたりまえのようにすることですが、実際のところ、翻訳を通じて海外小説を読むということは、様々な困難がつきまとう大変高度な営みです。「海外小説、あまり得意ではないな」と思うのは自然なことで、海外の小説を読むためには、日本の小説を読む時とは異なったコツや作法が必要なのです。
そこで今回は、海外小説がますます楽しくなる、そんな私なりのコツを紹介していきたいと思います。

 

1. 翻訳の選び方

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俳優で大の読書好きであった児玉清さんは、海外小説が好きな余り、翻訳を待たずして、原書ペーパーバックを読んでいたそうです。たしかに“好きな作家が書いたそのままの文章を読む”、ということは理想ではありますが、いかんせん並みの人間にはせいぜい2~3ヶ国語の取得が限界ですし、時間もかかってしまいます。そのため、海外小説を読むためには、翻訳家というフィルターを通さなければなりません。この翻訳というのが、海外小説の難しく、また面白いところです。
シェイクスピアやドストエフスキーのような古典作品にもなると、様々な出版社から、様々な翻訳で入手することができます。その場合、なるべく時間をかけて自分にあった翻訳を選ぶことが大切です。

複数の翻訳がある時は、読みやすさを優先

私は、翻訳で求められる条件として、「内容的な正確性」(誤訳がないか)、「文体的な正確性」(原著の文体の雰囲気を残しているか)、「日本語としての読みやすさ」の3点であると考えています。

まず、「内容的な正確性」ですが、これは原書の言語に精通していない限り判断はできません。大学教授といった身分の訳者でも、必ずしも訳の正確性を保証するものではありません。結論を言ってしまえば「内容的な正確性」は、翻訳を選ぶ基準にはならない、というのが私の考えです。
この項目に関して最低限できることは、ネット上の書評を参考にする(ただし鵜呑みにはしない)、なるべく新訳を選ぶこと、でしょうか。ただし、新訳は旧訳を参考にできる分、内容的な正確性に優れている確率は高いものの、必ずしも旧訳よりも良いとは限らないので、注意が必要です。

次に、「文体的な正確性」です。ひとつ例を挙げましょう。明治の文豪、森鴎外は翻訳の分野でも優れた功績を残していることをご存知でしょうか。
彼の代表的翻訳に、アンデルセンの『即興詩人』、ゲーテの『ファウスト』がありますが、前者は華麗な文語体で、後者は口語体で書かれているように、翻訳とは、ただに意味内容が対応していれば良いのみならず、もとになった作品の言葉の格調、リズムをも伝えることも求められます。
この「文体的な正確性」に関しては、もとになった言語がある程度読めるならば、原典をのぞいてみることができますが、やはり多くの場合、識者の翻訳評を参考にするほかはありません。

最後に3つ目、「日本語としての読みやすさ」です。いわゆる翻訳調と言われる、日本語として死んでいる言い回しになっていないか、という点です。
この点に関しては、新訳の方が多くの場合優れています。なにしろ、同時代の言葉を使って訳されているのですから。しかし、相性がありますから、自分で書店に足を運んで、2~3ページくらいパラっと試し読みしてから買う、ということが大切です。

難しいのが「文体的な正確性」と「日本語としての読みやすさ」の問題です。
翻訳もとの文章がすべてわかりやすい文体で書かれているわけではなく、そういった文章の場合、前者を尊重すると後者が失われてしまいます。場合によっては、ある種トレードオフの関係にある両者ですが、私はどちらかというと「日本語としての読みやすさ」が大事だろうと思います。
メルヴィルの『白鯨』なんかは、ずいぶん華美な文体で書かれていますが、あの長〜い話を読みにくい漢文調で訳されてはたまりません。読めなければしょうがないですからね。
私はあるドイツ語の翻訳を読んでいて、「何となれば」という言葉がたくさんでてきて困った経験があります。後から理由を示す、 “denn” の訳語として当てられているわけですが、日常会話で「何となれば、それは〜」なんて言い回しを使う人は、まあ、滅多にいないでしょう。やはり、小説においては言葉の鮮度が大事です。

 

2. 翻訳文を読むときの注意

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どんなに上手く訳されていても、言葉以外の文化や常識は完璧には訳すことはできません。たとえば、ジョークが良い例で、ジョークの言葉そのものは正確無比な訳が可能ですが、ジョークのおかしみとなるニュアンスや、共有の前提や認識までを伝えることは困難です。
ジョークに訳注をつけて、「ここがこうこう、こうだから、ここに滑稽味が生まれるのである。」など書いたって面白いはずがありません。というわけで、翻訳小説をたしなむ読者は、舞台となる国、時代の常識を身につける必要があります。
たとえば、シャーロックホームズを読むならば、ヴィクトリア時代のロンドンの街並みを絵や写真で知っていると、ベイカー街の情景描写がすっと入ってきます。また、よくイギリス小説では「ポリッジ」という料理がでてきますが、日本のおかゆと対応させるのではなく、ネットで画像をみるなりして、「ポリッジ」として覚えてしまうべきです。これは日本の平安時代の古典を読む時など、時代や空間を隔てた小説を読むときすべてにあてはまる、いわば「マナー」です。
やはり、読者に託されるタスクである言葉以外の翻訳は、「慣れ」の部分が大きいと思います。

 

3. 詩集の翻訳について

詩を翻訳するというのは大変難しいことです。言葉の微妙なニュアンスと音のリズムを通じて読者の情緒に訴えかけるものが詩であるならば、翻訳はせいぜい近似するのが精一杯でしょう。
たとえば、海という言葉と「Sea」、あるいは「Meer」という言葉は、それが想起させるものも微妙に違いますし、なにより音が違います。この音というのが大切で、三十一文字の和歌の流れや、シェイクスピアの弱強5歩格(iambic pentameter)といった韻律(meter)の趣というのは、やはり翻訳では出せない味わいです。

詩の翻訳に関する私の考えはこうです。詩の真価を知りたいならば、原文あるいは、対訳で読むこと。あるいは、翻訳詩を日本語で書かれた新しい作品として読むこと、です。
後者は意味がよくわからないかもしれませんが、上田敏の『海潮音』が良い例です。
『海潮音』と聞いて、「山のあなた」と題された詩における「山のあなたの空遠く「幸さいはひ」住むと人のいふ。」というフレーズを思い出す方は多いことでしょう。もとはカールブッセの詩の翻訳でしたが、もとの詩を知らずともここまでの人気を誇るこのフレーズは、翻訳を超えた上田敏の新しい作品であるといえるのではないでしょうか。
このように、翻訳詩とは、もとの詩に従属するものではなく、日本語詩として独立した価値を持つものとして読む、というのが私のポリシーです。
翻訳 (transcription) が新しい独立した生命力を持つといった例は、先ほど挙げた森鴎外の『即興詩人』もそうですし、クラシック音楽の分野では『展覧会の絵』のラヴェル編曲版もそうでしょうか。

ちなみに、対訳で詩を読みたい場合には、岩波文庫の『イギリス名詩選』や『ドイツ名詩選』などの名詩選シリーズや、『対訳 ディキンソン詩集』といった個人詩集が安価で重宝します。

 

おわりに

翻訳について、翻訳の選び方、読者側の心構え、詩の翻訳について述べてきました。自分にあった翻訳を見つけることができれば、あとは「慣れ」の問題です。
ちょっと読みづらいな、と思ったら、別の翻訳にあたってみるのも手です。そういう場合には、新訳を買うのもよし、古本屋さんで目に付くものを入手しておくもよし、「読み比べ」で自分にあった翻訳を見つけるのもまた楽しみであります。
自分のお気に入りの訳者さんを見つける頃には、もうすっかり海外小説ファンの仲間入りです。