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【終了】漱石、鷗外、谷崎潤一郎、小林多喜二。誰が一番好き?文豪人気投票その2開催中!


2017年10月2日(月)~10月23日(月)までの3週間、ブックオフオンライン公式ツイッター(@bookoffonline)にて【文豪人気投票】を開催しています。

第1回の一番人気は 太宰治 でした! 投票ありがとうございました。

ただいま第2回目を開催中。

第2回目の文豪人気投票のエントリー作家と代表作を簡単にご紹介します!

 

(2017.10.23追記)
文豪人気投票は終了いたしました。ご参加ありがとうございました!

 

1.夏目漱石

1867年2月9日、江戸の牛込馬場横町で生まれる。帝国大学(後の東京帝国大学。現代の東京大学)英文科を卒業し、松山中学、熊本の第五高等学校で英語を教えたあと、イギリスに留学。帰国後、東京帝国大学で講師として英文学を教えながら、執筆活動を行った。1905年に雑誌『ホトトギス』に『吾輩は猫である』を発表、その後数々の名作を執筆。1907年朝日新聞社に入社後、『虞美人草』の連載を開始し、本格的に作家として歩き出す。晩年、『明暗』の執筆中に胃潰瘍を悪化させてこの世を去った。

 

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『夢十夜』
新潮社

「こんな夢を見た。」から始まる十の不思議な夢をつづった十篇の物語。
百年前、百年後、神代、鎌倉、明治……夢の中で時代は移り変わる。
死ぬ間際の女と約束をした百年後、背負って歩いていた自分の子どもの真実が明かされる百年前……不思議な世界に迷い込んだような幻想短篇集。



 

私が好きなのは上記でご紹介した『夢十夜』。
読んだことがない方がいらっしゃったら、ぜひとも手に取ってほしい一作です。美しく、少し物悲しくて、読後は夢を見ているような余韻に浸れます。

幻想的な短篇集ですし、読んでもちょっと意味がわからない……と思っても大丈夫です。そのまま読んでください。
必ずしも理解する必要はないんだな、と思うはずです。

自分の中で、何か残るものがあるのなら、それは出会えて良かったと思える作品なんですよね、きっと。

 

2.森鷗外

1862年(文久2年)、石見国津和野(現在の島根県津和野町)で生まれる。藩医の家に生まれ、幼い頃から論語、孟子、オランダ語を学ぶ。東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医となり、陸軍省派遣留学生としてドイツで過ごす。帰国後、軍医をしながら小説の処女作『舞姫』を執筆。その後、多くの執筆活動を行った。
また、鷗外が主催となり、日本初の文学評論月刊誌『しがらみ草紙』を創刊している。
1907年、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任。陸軍を退職後は、帝室博物館の総長兼図書頭に就任した。
小説・随筆の執筆の他、小説や戯曲の翻訳も手がけており、幅広い文学活動を行った。

 

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『舞姫』
集英社

時は明治、ドイツに留学した官吏 太田豊太郎は、踊り子のエリスと出会う。
しかし二人の仲を疑われ、豊太郎は免職になってしまう。
ふたりはドイツで同棲を始め、エリスは豊太郎の子どもを身ごもった。
友人相沢のおかげで豊太郎は復職を果たしたが、日本の大臣から、日本に帰ろうと言われてしまい……



 

高校生の頃、教科書に載っていた『舞姫』。現代語訳ではなく、まさに古典。ですが、その日本語の美しさに心を奪われたのは、私だけではないはずです。

「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。」というこの冒頭が、大人になっても忘れられず、何度も何度も読み返した、大好きな作品です。

高校生の頃は、この豊太郎と友人相沢が理解できず、2人ともなんでこんな男なんだ! と思ったものですが、大人になるということは、豊太郎の気持ちも、相沢の気持ちも、理解まではいかなくとも、わかるようになるのだなと思いました。

『舞姫』や『高瀬舟』など、鷗外の作品は、己の価値観を問われる話が多いという印象です。
鷗外に投票される方がイチオシの鷗外作品が気になります!

 

3.谷崎潤一郎

1886年(明治19年)東京日本橋に生まれる。東京帝国大学(現在の東京大学)国文科で、小山内薫らと第二次『新思潮』を創刊し『刺青』『麒麟』を発表するが、翌年『新思潮』は廃刊となり、授業料未納により退学となる。
1915年、石川千代子と結婚するも、友人、佐藤春夫に千代子を譲った「細君譲渡事件」で離婚。
太平洋戦争中に、三人目の妻、森田松子姉妹をモデルに『細雪』を執筆。1949年には、文化勲章受章。
ノーベル文学賞の候補に何度もあがっていた。

 

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『刺青』
新潮社

元浮世絵師の刺青師 清彦は、美女の肌に刺青を彫ることを願っていたが、なかなか満足する肌を持つ女が見つからない。
ある夏の夕べに、簾の影から女の美しい素足が出ているのを見て、彼女こそ自分が長年求めてきた女だと確信する。
一度は姿を見失ったが、ある日その女が、使いで清彦を訪ねてきた。麻睡剤を忍ばせた清彦は、女を引き留めて……。
フェティシズムを描いた谷崎潤一郎の処女作。



 

フェティシズム、という言葉がぴったり、という印象の谷崎潤一郎。『細雪』はその美しさが有名ですが、上記の『刺青』や『痴人の愛』などは、まさにその真骨頂なのでは!と思わずにはいられません。しかしなぜか読んでしまう。なぜか惹かれてしまう……不思議ですね。

そんな谷崎潤一郎の有名なエピソードとして、友人 佐藤春夫との間におきた「小田原事件」と「細君譲渡事件」があります。

谷崎は石川千代子と結婚するのですが、むしろ谷崎は、千代子の妹・せい子(『痴人の愛』のモデルになった女性)に惹かれていました。もともと千代子に好意があった谷崎の友人 佐藤春夫は、そんな千代子を不憫に思ったこともあり、谷崎と千代子と佐藤春夫は三角関係になるんですね。
谷崎は佐藤春夫に「千代子を譲る」と言ったのですが、せい子と一緒になれないとわかり、その約束を撤回。谷崎と佐藤春夫は絶交状態になります。これが「小田原事件」。

結局ふたりは和解し、谷崎と千代子は離婚。千代子は佐藤春夫と再婚します。この時、連名で声明を出したんだそうです。それで話題になったのが「細君譲渡事件」。

なんてスキャンダラス!しかしこのスキャンダラスなところが、作品に活きてくるのでしょうね。

作品も作家も、大変興味深いことに違いはありません!

 

4.小林多喜二

1903年(明治36年)秋田県北秋田郡で生まれる。小樽に移り住み、伯父の工場に住み込みで働きながら、小樽高等商業学校へ進学。文学活動に取り組みながら、労働運動への参加も始める。1928年、北海道拓殖銀行で働きながら、三・一五事件を題材にした『一九二八年三月十五日』を発表。翌年、『蟹工船』を発表し、プロレタリア文学の先頭に立ち注目を集めた。
しかし、これらの作品により、要注意人物とされ、銀行も解雇。共産党への資金援助の疑いや、軍国主義への批判などから繰り返し逮捕され、名前を変え身分を隠して生きていたが、1933年 逮捕された際の拷問により29歳でこの世を去った。

 

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『蟹工船』
角川書店

蟹工船「博光丸」は、たらば蟹を漁獲し、缶詰に加工をしている船だ。
老朽船であり、労働法規なども適用されない、劣悪な環境だった。
監督の浅川は、労働者たちを無下に扱い、彼らは暴力や過労などで倒れていく。
やがて労働者たちは、ストライキに踏み切ることになるが……



 

志賀直哉を慕っていた小林多喜二。

奇しくも、小林多喜二が亡くなった日は、志賀直哉の誕生日でした。

また、多喜二が亡くなった時も、志賀直哉は日記に「一度しか会ったことはないが、彼に良い印象を受けた。アンタンたる気持ちになる」という内容を書き記しています。

志賀直哉は多喜二の母にも「前途ある作家として実に惜しく、一度しか会ったことがないが人間として親しい感じをもっていた」というような、お悔やみの手紙を出しています。

多喜二は生前、自分の作品について、志賀直哉に批評を求めて手紙を書いています。
その手紙に対し、志賀直哉は真摯で丁寧な返事を書きました。

それは、文学に対しても多喜二に対しても、とても愛情がこもった手紙だったのだそうです。

 

2回目がやってまいりました!

 

文豪人気投票も2回目です。
1回目と2回目の人気No1の文豪が、決勝にすすみますよ!

みなさんどしどし投票してくださいね♪

文豪人気投票は公式Twitter @bookoffonline にて開催中!

 

 

今回ご紹介した書籍
夢十夜夏目漱石(著)、新潮社
舞姫森鷗外(著)、新潮社
刺青谷崎潤一郎(著)、三起商行
蟹工船小林多喜二(著)、岩波書店