中島敦『山月記』こじらせた男が虎になって吠えるお話
更新日:2017/8/17
国語の教科書にもテストにも頻出する『山月記』を知っていますか? 一度は読んだり、タイトルだけでも聞いたことがあるのではないでしょうか?
アオノは、高校生の時に授業で読んだだけで、ストーリーもぼんやりとしか覚えておらず……
とりあえず、人が虎になって、月に吠えるんだよね!というところまでは思い出しましたが、『山月記』ってどんなお話だったんだろうなぁと、先日久しぶりに読み直しました。
どんなお話なのかをご紹介します。
中島敦著『山月記』とは
『山月記・李陵 他九篇』より「山月記」
中島敦(著)、岩波書店
唐の時代の中国に、李徴(りちょう)という、秀才がいた。
彼は自尊心が高く、官吏(国家の役人)という役職だけでは満足できず、詩人になり名声を得ようとしていた。しかし官吏を辞めてから、詩人としても芽が出ず、妻子の為に下級官吏として働きだした。
やがて李徴はその屈辱的な生活に耐えられず、発狂して姿を消した。
翌年、李徴の旧友であり、監察御史(官吏の行いや、地方の役所を、監督のために見て回る役人)の袁傪(えんさん)が、仕事での旅の途中、林の中で虎に襲われそうになる。
その虎はかつての旧友、李徴であった。
やっぱり人が虎になったお話しでした! しかし、アオノの高校時代の記憶はここまで。記憶がアバウトですね!!
当たり前ですが普通、人間は虎にはなりません。小説とはいえ、いったい李徴の身に何が起こったのでしょうか? かいつまんでご紹介します。
なぜ李徴は虎になったのか?!
さて、袁傪と李徴、この2人は親友なのですが、袁傪は李徴が知らぬ間に偉い人になっていました。
李徴は偉くなった袁傪を見て「あいつは偉くなったのに、自分は虎になっちゃったし……こんな姿見せられない! 恥ずかしい!」と草むらに姿を隠したまま会話をします。
でも、李徴がどうして虎になってしまったのか、それは袁傪も気になったのか、袁傪は思いきって李徴に訊いてみることにしました。
李徴が言うには、自分が虎になったのは「自分の内面にふさわしい姿」になってしまったから、とのこと。
それは一体、どういうことなのでしょうか?
自分の内面にふさわしい姿とは?
李徴はとても秀才で、若いころに良い役職についたにも関わらず、詩人になりたいと思っていたんですね。というのも、この李徴、あらすじにも書いたとおり、とても自尊心が高い人だったんです。
その自尊心の高さは、相当なもので「自分には才能がある」と固く信じていたわけです。
今で言ったら、ちょっとこじらせている大人ですよね。
なので、詩人として成功すると思っていたし、自分は他人とは違うから、自分よりレベルの低いひととは付き合いたくないし、平凡な人間だと思われたくもなかった。
しかし一方では、心のどこかで自分の才能を疑っている一面もあり、努力をすれば才能がないとばれてしまいそうで、詩を先生から習うことも、詩を書いている仲間と切磋琢磨して、腕を磨くこともしなかったんですね。
その結果、李徴は孤立していき、妻子を苦しめ、友人を傷つけてしまったのです。
それで結局どうなった?
結局李徴は、詩人になるぞ! と仕事を辞めたはいいけど、詩人としての芽も出ない。
家族を養わなくちゃいけないので、お金をかせぐために地方の役人になったはいいけれど、自分がかつて見下していた人たちが、自分よりも昇格していた。
その下で働くなんて屈辱だ! と思ってしまい、ついに発狂。そして、気が付くと虎になっていた、というわけです。
『山月記』と『人虎伝』が決定的に違うところ
『山月記』の元になっているのは『人虎伝』という中国の物語です。
登場人物は、虎になってしまった李徴、そして友達の袁傪なのですが、このふたつの物語、あることが決定的に違います。
それは、李徴が虎になった根本的な理由です。
『人虎伝』の李徴は、南陽の郊外で未亡人と恋に落ちたところ、未亡人の家族に咎められて彼女と会えなくなってしまいます。
それに腹を立てた李徴は、彼女の家に火をつけて一家を焼き殺してしまうのです。
李徴は人間としての心を完全に失くしてしまったんですね。虎になっても仕方ない……。
中島敦は『山月記』を書くときに、そのエピソードを丸々カットしています。
『人虎伝』では、家に火をつける、という非人道的な行いをはたらいている李徴ですが、『山月記』では、李徴の内面のみの要因で虎になったと考えられています。
そこがますます、「虎」という存在が、堕ちた自分自身の心によって変身してしまった獣だと感じられる『山月記』のおもしろいところだなと思います。
自分の中の「猛獣」を見つめる
『山月記』の李徴はこのように言っています。
「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣というのは、その人の性質や心である」と。
だから人間としての心を失った自分は、猛獣になってしまったのだと語ります。
しかし思い返してみれば、誰もが一度は、李徴のように考えたことがあるのではないでしょうか。
自分は他人とは違うと思い、尊大に振舞ってみたり、自尊心を傷つけられることを怖がり、やればできるのだと努力を怠ったり。
そういったものをコントロールできる者こそ人間であったのだと、李徴は考えるわけです。
あなたの中に「猛獣」は住んでいるでしょうか? またそれはどんな猛獣ですか?
誰もが抱えているだろう自分の中の「猛獣」を、一度見つめなおしてみるのもいいのかもしれませんね。
李徴は人間に戻れるのか!?
文庫版ではわずか10ページほどの短い物語です。しかしその中で、人の内面を鮮明に映し出し、私たちに自分はどうなのだと、問いかけてくるような作品ですよね。
さて、こうして虎になってしまった李徴、はたして彼は人間に戻れるのでしょうか?
ぜひ読んでみてくださいね。
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